湖まち~海まち~山まち Diary

湖まち、海まち、山まちで生きる日々の記録

生身のひと バーチャル 最後の風景

人は生きている。生身(なまみ)で、血が通っています。

それが、バーチャルでいいとは、もったいないことです。

生身で会うことにしましょう。

わざわざ、訪ねに行く。会った時の感動は、素晴らしいものです。

オンラインで、お話していて、知り合いではあるが、生身でない。

その人を感じ取ることができない。

画面で話すのが、イライラするのは、そのためでしょうか。

握手、ハグが必要なんです。おしゃべりしながらの触れ合いが必要なんです。

若いころは、携帯もPCない世界でした。

お互いに時間をかけて行き来して、会うまでの時間を楽しみ、生身の人に会って話してきたことがあるから、そう思えるのでしょうか。経験のない人には、わからないことかもしれません。

情報の伝達だけでいいのなら、今のテクノロジーは素晴らしい。

しかし、人は生身で、傷つく、簡単に死んでしまうことを、テクノロジーは教えてくれないんでしょう。

映画を見ていると、目を見開いて死んでいくシーンがありました。

最後に、目に映る景色どんなものか。

なにを、最後に見ることができるか。

戦場で撃たれるときには、何が見えているのか。

胸がキリキリと痛んで、倒れたときは、何が見えるのか。

父は、倒れて目を開けないで、1年家にいて、死んでいきました。倒れるときに見たものは何だったのか。

こんなことを考えていると、落ち込むかなと心配でした。

「人は最後に見る風景を選ぶことは、なかなかできない。もしかしたら、今、眼の前にあるこの風景がそうなのかもしれない。そういう風に一瞬一瞬を、大切に眺められたらいいのかもしれません」HNK 飛ぶ教室高橋源一郎さんの言葉を聴いて、救われました。

生身の触れ合いも同じことかな。人々との触れ合いも一瞬一瞬を大切にですね。

最近は、鹿島アントラーズのサポーター席での観戦です。ここにいると、応援の振付をしても、恥ずかしくない。心身ともに開放できます。この風景いいですね。