川越街道を走り、光が丘に向かう。40年前には練馬から池袋を抜けて、六本木の会社までよく通った道です。どこにも、過去の面影がありません。
唯一、残っていたのは、上板橋の、「五本けやき」でした。幾度もこのけやきのそばを通ったものです。私のLANDMARKです。
このそばに、よく立ち寄ったラーメン店は、見当たりませんでした。
川越街道の拡張工事の時に、上板橋村村長であった飯島彌十郎(いいじまやじゅうろう)が、屋敷林の一部のけやきを残すことを条件に土地を提供しました。こうして残された屋敷林が「五本けやき」と呼ばれるようになりました。とうことです。
この先も永く残っていてほしいものです。
東京は、巨大な生き物のように思えます。どんどん変化して、膨張を続けています。過去を、飲み込んでいきます。
若い時は、ただの目印だった木が、今は、私が東京にいた若いころを、明確に思い出させてくれ、目の前に、車を止めて、ラーメン店に歩いている私が、見えるのです。
光が丘は、ナビが無ければ、一歩も動くことができません。
目的の地に近づくと、その家は、変わらず建っていました。もう60年以上経った家ですので、ぼろぼろになっています。
遊びに来たときに、長男と一緒に入った、昭和のタイル張りのお風呂は、まだありました。二人で入っている光景が見えます。
過去の様子が、今の自分の目の前で見えている経験をするとは、驚きでした。
懐かしいものを、選別して、車に乗せました。義母が亡くなってから、10年です。やっと妻の姉妹、兄弟がそろいました。疎遠になっていたのですが、この歳で会って、今後は、連絡を取り合うようにするでしょう。
義父、義母が会わせてくれたのでしょう。そんな気がします。関東に来た私も、これを縁に、関りを深めていきたいと思います。
写真は、地図の写真です。2023年3月ごろです。