鹿島立ち
天智天皇2年(663年)に白村江(はくすきのえ)の戦いで唐(現在の中国)・新羅(現在の韓国の東側にあった国)の連合軍に大敗した倭軍(古代の日本)は、連合軍が攻めてくる危機を感じ、天智天皇3年(664年)、対馬、壱岐、筑紫国(現在の長崎県と福岡県の北側沿岸部)に防人(さきもり)を配置して守りを固めました。はじめのころ防人は、遠江(現在の静岡県)以東の東国からおもに集められ、九州に赴きました。防人に選ばれた人たちは鹿島神宮で旅の安全と無事に故郷へ帰れることを祈って出発しました。これが“鹿島立ち”の起源です。(鹿嶋市のホームページ 鹿嶋市郷土かるたの部屋より)
鹿島立ちという言葉は、茨城県鹿嶋市周辺だけに使われる言葉ではありません。日本中で使われる言葉です。「門出」「旅立ち」という意味で使われます。
鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」は武をつかさどる神様です。防人が出征前に武運を祈ったところです。
赴任地に鹿島立ちします。茨城空港から、台湾まで鹿島立ちします。
こんなふうに使われます。鹿嶋市以外で、一度「明日、大阪万博に鹿島立ちします」と使ってみて、理解してもらえるか試してみましょう。
ほとんどわからないかもね。
「鹿島立ち」を、日本国中にアピールしましょう。「あなたの鹿島立ち、鹿嶋市の鹿島神宮が、お守りします」
社会への旅立ちの時、ぜひ鹿島神宮にお参りに来てください。一生、あなたを守ってくれます。
その鹿島神宮の春一番のお祭りがありました。「祭頭祭(さいとうさい)、祭頭囃し(さいとうばやし)」です。午前中は雨が降りそうな、寒い日でしたが、12:00ごろから、お日様も出て、暖かくなり、お祭り日和なりました。


私も見に行きました。我が家から歩いて30分。神宮の森の中を歩いて、お祭りがおこなわれている大町通り出ました。色鮮やかな衣装に、春の訪れを感じられます。屋台も出て、子供たちがはしゃいでいます。


お祭りの中にも、人口の減少、子供たちの減少などが見受けられました。毎年、当番区が変わりますが、今後は区が合同で催すことが、必要になるかもしれません。
祭頭囃し(さいとうばやし)に合わせて、樫のこん棒をたたき合います。見学者も、派手な法被(はっぴ)を借りて、参加できます。当番区以外の人の参加を、日本中から、1年通じて呼びかけるようにしたらどうでうか。グループ参加も募りましょう。
お祭りの、経済効果は数値ではどのくらいなのかな。
経済的にともかく、とても、暖かい日差しの中で、のんびりできたお祭りでした。
鹿島アントラーズの選手に寄せ書きも、奉納されていました。今年は、リーグ優勝する意欲の強さを感じます。
鹿島神宮の楼門は現在修復中です。
十二年に一度、午年に執り行われる鹿島神宮 式年大祭 御船祭り(みふねまつり)までに修復は完了します。
御船祭り(みふねまつり)は令和8年8月31日から9月2日まで行われます。詳細については、HPを参照ください。