湖まち~海まち~山まち Diary

湖まち、海まち、山まちで生きる日々の記録

過酷なロード 

12月24日 仏滅とクリスマスイブの日でした。

風邪をひきながら、関西に移動して、結婚式に参加、孫のいる長女の家に宿泊(2か月ぶりに会えた、うれーしーい)、その後故郷でのお墓参り、親戚の家にご挨拶(元気でよかった)、3年ぶりの故郷でした。車を運転しての移動でした。

風邪はピークの中を移動。往復1500kmの移動でした。電車で行くと、乗り継ぎ乗り継ぎで、時間がかかります。荷物をいちいち、運ぶのが面倒です。ほとんど車で、旅に出ることが、多いのです。

今回は、疲れました。体調がよくないのが大きな原因です。結婚式が無ければ、出かけなかったでしょう。

4日間の工程の、最終日に富士市にいました。起きてホテルの窓を開けると、富士山が見えました。朝日を受けて、輝いていました。

自分が止まっていて、富士山の全景を見るのは、はじめてではないのでしょうか。いつも電車か、車の中から「きれいな富士山」と言いながら、眺めていました。

まじまじと見る富士山を堪能しようと、田子の浦まで行くことにしました。

山部赤人の歌碑が立っていました。歌碑は富士山の溶岩(松野石)で、できているそうです。日本に現存する最古の和歌集「万葉集」に記載されています。

田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ新古今和歌集小倉百人一首版)

百人一首を暗唱させられた時代がありました。100首もよく覚えていたものです。ほとんど忘れても、この歌は覚えていますね。

奈良時代歌人山部赤人はどのような風景の中で見たのでしょうか。工業地帯の現在の風景とは違い、富士山が、海辺から緑の大地を押し上げていく形状を、感じたのでしょうね。

小倉百人一首 買おうかな。

田子の浦から小田原城まで、近いので国道を走り、見に行くことにしました。箱根湯本を過ぎると、箱根駅伝で通る道を走行します。

あと、数日で、選手がここを駆け上がり、駆け降ります。何十年も前に卒業した大学も出ます。テレビの前で応援しますよ。

鈴廣かまぼこの里に寄りました。

そばと板わさ「美藏」mikuraでおそばをいただき、隣の名水甘味「且座」shazaであんみつをいただきました。過酷なロードをしてきた私と連れ合いには、至極の時間です。

お正月用のかまぼこと伊達巻を買い、帰路につきます。ここからは高速で帰ります。3時間で家に到着です。

クリスマスイブです。何も準備していませんでした。途中、スーパーで買ったローストチキンと野菜サラダで済ませました。お昼に美味しいものを食べましたからね。

小田原城は、私のイメージしていたところではありませんでした。難攻不落の小田原城を感じることができませんでした。

でも連れ合いが、小さいころに城内の動物園で会った、象のウメコさんの記念碑を見つけられました。思い出を確認できたのです。動物園はもうありません。

やっと風邪が、治りかけています。人混みでは、マスクをするようにします。風邪も、なかなか治らない歳でした。注意。注意。